父との時間 ~闘病記~

2008年5月 1日 (木)

葬儀社選び

父が息を引き取ったのは
多分2時30頃。
 
 
看護師さんに知らせて
2時49分に先生が死亡確認しました。
   
 
 
  
 
冷たいと感じられるかもしれませんが・・・・・
 
担当医から
癌告知と同時に
【あと数日・・・】という余命を告げられてから
私と夫は葬儀場を探し始めていました。
 
 
と言うのも・・・・・・
 
葬式場を決めておいた方が
直ぐに動きが取れますし
それに・・・・・・
殆どの葬儀社が
前以て会員になっていると
お値段がお安くなるんです・・・・・・ 
   
 
その様な理由から
夫と二人で
電話帳に載っている葬儀社に
片っ端から電話を掛け探しました。 
  
  
私達家族の希望する絶対条件は2つで
父の希望でもあった【家族葬】ができる場所。 
それから 
父の愛犬どるちぇ君も一緒に参列できる場所。 
    
 
 
色々な葬儀社に電話をして感じたのですが
なかなか強気な態度の会社が多い。 
   
  
身内だけで執り行う【家族葬】にしたいので
一番地味なプランを聞いているのに
高いプランしか教えてくれなかったり
渋々教えてくれたとしても
態度が物凄く悪かったり 
『愛犬も参列させたい』という私達の希望を
バカにしたように受け流したりで
サービス業とは思えない態度。 
 
 
でも、勿論
そんな酷い葬儀社ばかりではありません。 
 
父の葬儀をお願いした会社は
親身になって丁寧に説明してくれ 
愛犬の参列についても
快く承諾してくれました。


葬儀という
非日常的な場面で
分らない事だらけの状況の中で
冷たい態度の葬儀社に
悲しい思いもしましたが
父の葬儀をお願いした会社の担当者さんからの
「ワンちゃんも大丈夫ですよ
 ペットは家族ですから 
 一緒にお別れして下さい」 
という言葉に救われた思いでした。 
  
 
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2008年4月29日 (火)

闘病記 31  お別れの時・・・・・

3月11日(火曜日) 入院12日目 
  
危篤状態のまま日付は変る。 
    
    
 
0時を過ぎた辺りから
呼吸の回数が減ってきた。 
     
 
【息を深く吸い込み、深く吐き出す・・・・・・】
     
深夜の静かな病室の中で
私達は響き渡る呼吸の回数を数えていました。 
 
    
 
《2時頃》
  
更に回数が減り
弱くなる呼吸・・・・・・・
   
 
2時頃の時点で
10秒に1回のペースだった呼吸は
みるみる回数が減り
2時15分位の時点では20秒に1回になり
2時20分頃には
更に間隔を置いた呼吸になった。
     
  
 
一旦、自宅に戻った叔父夫婦(父の実弟)が
再び病院に駆け付けるまで
『もう少し・・・・・・
 もう少しだけ頑張って・・・・』 
と祈る気持ちで
父が息を吐き出した後の
次の呼吸を待っていました。
  
 
そして・・・・・・
  
 
《2時30分少し前》 
  
叔父夫婦が到着し
病室に駆け込んできて・・・・・・・
   
『お父さん、みんな揃ったよ』
 
『みんな一緒だよ』
 
『お疲れ様・・・・・ありがとうね・・・・・』
 
『苦しかったね・・・・』

『頑張ったね・・・・・・』 
  
 
家族其々が
父へ言葉を掛けると
みんなが揃ったのを確認し
安心したかのように
間隔の長い呼吸は無くなり
そして
眠るように・・・・・・・・・・・・・・ 
    
  
3月11日 (火曜日)
   
享年66歳
  
家族全員が見守る中で
父は息を引き取りました。 
 
 
 
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2008年4月28日 (月)

闘病記 30 危篤状態

3月10日(月) 入院11日目
 
深夜、深く荒い呼吸になっていたが
朝になると徐々に落ち着いてきた。 
 
でも
相変わらず眠ったままで
言葉を発する事も
目を覚ます様子は無い。
  
   
   
《昼頃》
 
体を拭いてもらい
寝巻きを洗い立ての物に替えてもらう。 
  
しかし
眠ったままの父の口から
いつもの
「ありがとう」の言葉は聞けない。 
 
 
 
《夕方》
時間が経つにつれて
再び呼吸が深く荒いものになってきた。 

血圧にも変化が現れ
上が70を切っていた。 
  

この日
一旦、東京に帰る予定でいた兄夫婦は
血圧の数値を見て
急遽、帰るのを取り止めた。 
 
 
《18時頃》
 
仕事を終えて
病院に立ち寄ってくれた私の夫も
父の容態を知ると
直ぐに会社に連絡をして
翌日の休みを取ってくれ
一緒に付き添うと言ってくれた。
 
その後も
血圧は下がり続けて・・・・
 
 
《20時頃》
 
入院中、毎日欠かさずお見舞いに来てくれていた
私の叔父(父の実弟)が
仕事を終えて病院に来る頃には
血圧は50台にまで下がり

再び、深く荒い呼吸に変わってきた。 
  
 
《21時頃》
呼吸に変化は無いが
血圧は少しだけ戻り60台になった。
 

息が詰まるような空気の中
気が抜けない危篤状態が続いた。 
    
  
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2008年4月26日 (土)

闘病記29  最後の足音・・・

3月9日(日) 入院10日目
 
《22時頃》 
  
兄夫婦(父の長男)と母が
病院から実家に帰り
父の付き添いは私と夫の二人。 
  
   
夕方から一度も目を覚まさない
父の呼吸が深く荒いものに
少しずつ変わってきた。 
     
その呼吸を聞きながら
私と夫は、今までとは違う
何かを感じていた。 
  
  
 
《23時30頃》 
 
翌日、朝早くから仕事を控えているのに
父の容態とたった一人で付き添う私を心配して
「病院に泊まる」と言ってくれる夫を
無理やり説得し帰宅してもらう。 
 

   
そして 

3月10日(月)入院11目 《0時》 
  
電気を落した病室には
父と私の二人だけ。
    
 
次第に荒くなる呼吸は
まるで《最後の時》を告げる足音の様な気がして
不安が最高潮に達してしまった私は
実家で休んでいる兄に電話をして
急遽、病院に来てもらい
一緒に付き添ってもらう事に。 
  
 
電話をして30分も経たないうちに
兄は病院に到着。 
  
  
 
自分以外の存在は
とっても、とっても大きくて
不安で押し潰されそうな看護も
兄が来てくれたお陰で
気持ちを強く持つ事ができました。 
  
    
  

それから数時間後
朝になり、父の呼吸は
一旦、落ち着いてきたものの
言葉を発する事も
目を開く事も無く
最後の時まで
意識は二度と戻りありませんでした。 
  
 
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2008年4月25日 (金)

闘病記 28 昏睡状態へ

3月9日(日曜日) 入院10日目
  
歯茎からの出血も無く
吐血も下血も全く無い。 
      
でも
歯や唇に、こびり付いた血が固まり
汚れが目立つ。 
   
 
数日前、看護師さんから教えていただき
病院の売店で購入した
血液専用の汚れ落としの薬品を使って
唇や歯を拭っても
歯と歯の隙間に入り込んだ
汚れまでは綺麗にはできなかった。 
 
  
 
《午前中》
父の状態は、前日に比べると
眠る時間が増えていた。 
   
しかし
起きている時は
声のする方向を向き
何か言葉を発している。 
  
  
《昼過ぎ》
山口県からお見舞いに来てくれていた
母の親戚が
帰る前に、もう一度
父の顔を見に来てくれた。 
  
親戚達が父の手を握りながら
優しい言葉と励ましの言葉を掛けると 
意識レベルが低下しているなかで
必死にみんなの声に答えようとする
様子が伺えた。
  
 
 
《16時頃》
父が入院してからというもの
殆んど寝ていなかった私は
猛烈な眠気に襲われ
病室のソファーに横にり眠り込んでしまった。 
 
そして 
目が覚めたのは2時間後の18時頃。 
  
 
父が入院してから
一度も横になって眠っていなかったので
たった2時間の睡眠でも
頭がスッキリして体が軽くなっていた。

 
 
ベッドの横で
父の手を握り続けていた母の話では

私が寝ている間 
父もずっと眠っていたらしい。 
     
 
ただ、眠っているだけなんだと
そう思っていた・・・・・・・・
 
 
でも
そのまま、眠ったままで

それ以降、意識を戻す事無く
目を覚ます事も無く
こん睡状態へと陥っていった・・・・・・・ 

  
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2008年4月24日 (木)

闘病記 27  愛情の深さ

父の声は掠れて小さくて
殆んどの言葉を聞き取れませんでしたが
それでも入院中は
沢山沢山会話をしたような気がします。 
 
 

面白い話題や
楽しい思い出話。
  

「今度、○○へ行こう!」 
とか
「もうすぐ、桜が咲くよ
 お花見に行こうね」
等の
今後のプランについても沢山話しました。 
  
 
それから
これまで言いたいと思っていた事も
沢山沢山、言えました。 
  
  
 
手を握りながら
沢山沢山お話して
時には
父の胸に顔を埋めて甘えたりして
辛い状況ではありましたが
私的には幸せな時間でもありました。
   
  
入院生活、何日目か忘れましたが
痰の吸引をしてもらう際
看護師さんに必ず
《ありがとう》という感謝の言葉を忘れない父に
「凄いね、自慢のお父さんだよ! 
 お父さんが私のお父さんで良かった~」

 
父の手を私の頬に当てながら
語り掛けていると
私の頭を自分の胸に抱き寄せ
掠れる声で

「よかった~」と安心したように
答えてくれました。 
  
 
その会話を傍で聞いていた母が
「よかったね! 嬉しいね!」と語り掛けると
小さく掠れる声で再び

「よかった~」と嬉しい返事。
 
  
   
  
末期の肝癌で寝たきりの状態になっても
優しい笑顔と大きな愛情で
私達家族を包み込んでくれた父。
  
 
家族を守ろうとする
愛情の深さと意志の強さを感じ
守られている事を
私と母は実感していました。
 


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2008年4月23日 (水)

闘病記 26  輸血2パック

3月8日(土) 入院9日目
 
父の病気と余命を知った
母の親戚2名が(母の叔母と母の兄)
わざわざ山口県から
私達の住む愛知県まで
お見舞いに駈け付けてくれました。 
   
  
アルツハイマーになる前
父は叔母を誘い
色々な所へ旅行へ連れて行ったりしていたので
叔母は父に対して
とても感謝しているらしく
それだけに
肝癌になってしまい
残された時間があと僅かだという事が
辛くて辛くて仕方ないといった表情。
  
  
父の手を握りながら
優しい言葉を沢山沢山掛けてくれ
暫しの間、旅行での思い出話や
昔話に花を咲かせていました。
   
   
   
親戚が訪れてくれた、この日
2回目の輸血が行われました。 
     

この時の輸血は2パック分。
   
前回の輸血同様
父の体に血液が流れ込むと
白い顔に赤みが差し
見る見る顔色が良くなり
健康そのものと言った感じ。
   
余命数日というのが
何かの間違いなんじゃないかと思える程で
お見舞いに来てくれた叔父よりも
顔色も良くて健康そうなくらい。
 
 
健康そうな父の顔を見ながら

【病気が治るのでは?】
という期待のような思いと
【病気は治らない・・・・
 現実から目を逸らしてはいけない・・・・】
という気持ちの葛藤を
寝不足で疲れた頭で
グルグルと考えていました。 
 
でも
そう感じていたのは私だけではなく
その場に居合わせたみんな
同じ様に、同じ事を感じていと思います。
  
  
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2008年4月22日 (火)

闘病記 25 視力低下

3月7日金曜日 (入院8日目) 
 
続いていた吐血は
7日の夜にやっと治まり
血便もなくなった。 
  
 
しかし
吐血と下血で体内の血液は失われ
血液検査の為の採血では
注射器で血を吸い込んでも
採取できない程までになっていた。 
 
  
その場に居合わせた私の夫は

強い衝撃を受けた様で
目に涙を溜めながら
採血の様子を見守っていました。
  
 
 
モルヒネが始まってからは
痛みを訴える素振りは全くない。
でも、副作用・・・・・と言うか
薬の影響により
少し興奮状態に近い感じで
とてもよく
喋るように。
  
 
手を握り
顔を覗き込みながら
父に話しかけると
私の声のする方向に顔を向けるのだが
視点が定まっていない。 

  
『まさか・・・・・・ 』と思いながら

「私が見える?」と尋ねると
父は小刻みに首を横に振った。 
   
次に
「声は聞こえる?」と尋ねると
今度は小さく縦に首を振る。 
   
全く見えない訳ではなさそうだが
視力が落ちて
人の顔を認識する事ができなくなってきたらしい。 
    
   
父の手を
私の顔に触らせて

「ほら、白ネコ(私)だよ。
 姿は見えなくても
白ネコはお父さんの傍にいるよ」
 
  

「一人にしないから
 ずっと傍に居るから安心して」
 
 
思い付く限りの
父が安心できるような言葉を
語り掛けると
小さく頷きながら
まるで私の存在を確認するかのように
顔をペタペタ触りました。
    
近くに居た夫も、私と同じ様に

「僕も居ますよ」
「みんな、傍に居ますよ」

と一緒に声を掛けると
パッと笑顔になり
小さく
「おおっ」と声を発して
嬉しそうに笑ってくれました。 
    

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2008年4月21日 (月)

闘病記 24  モルヒネ

3月6日 入院7日目 

時間を空けずに 
休み無しに続けられていた
痛み止めの点滴が
この日の昼からモルヒネになった。 
 
 
ベッドの直ぐ脇に
専用の機械が運ばれ
注射器に入ったモルヒネがセットされる。 
 

その様子を
私と母は、ただ黙って見ていました。 
 
 
吐血が続き
顔色も血の気が引いた白い色に変わり
口には呼吸器を付け
そして
24時間続けられる
点滴とモルヒネ・・・・・・・・・・
 
 
元気でご飯もオヤツも
毎回、毎食完食していた
10日前とは全く違う父の姿が
そこにはありました。 
    
  
ベッド眠る父を見ながら 
母と二人で
この一週間を振り返えり
記録にして書き出してみましたが
記憶が少し前後していて
慌しい状況の変化に 
気持ちと頭が付いて行っていないのが
よく分かりました。 
  
  
 
現実感はあるのに
まるで客観的にテレビの中の
出来事を見ているような・・・・・
  
かと言って
夢を見ているような
靄が掛かった感じはなく
確りと現実として受け止めてるという
なんとも説明できない不思議な感覚の中で
自分の力ではなんとも出来ない
運命や現実を痛い程感じました。
 
 
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2008年4月17日 (木)

闘病記 23  謝罪

東京に住んでいる私の兄夫婦(父の長男)
父の病気を知らせると
その日の内に(2月29日)
深夜の高速を飛ばして
愛知県の実家まで駆けつけてくれました。
    
 
当初、3月2日(日曜日)には
東京に戻る予定だったのですが
無理をして仕事の都合をつけて
3月4日(火曜日)まで居てくれたので
私と母にとって
本当に心強かったです。  
   
  
一旦東京に戻り
7日(金曜日)の夜には
再び来てくれる予定だったので
それまで
【どうか、昏睡状態にならずに
 意識がある状態を保っていて欲しい】
と祈り続けていました。
 
  
 

3月6日(木) 入院7日目 
  
深夜1時頃
母が帰宅して
父と二人だけの時間。 
  
父が入院してから
殆んど睡眠を取っていなかった私は
折りたたみ椅子に座り
父の手を握りしめたまま
迂闊にも眠ってしまっていました。 
  
 
巡回に来た看護師さんの気配で
目を覚ますと
父が吐血をしていて・・・・・・・ 
      
この時もかなりの出血量。
枕、シーツも血だらけで
床にも滴り落ち
近くのカーテンにまで飛び散っていました。
    
  
 
眠ってしまい、吐血に気付かなかった事が
申し訳なくて、悲しくて、悔しくて・・・・・・ 
   
 
血で汚してしまった事を看護師さんに
誤り
気付けなかった事を父に謝りながら
滴り落ちた血を拭きました。 
   
「ごめんね、お父さん」 
 
「苦しかったよね」 
 
「気付くの遅くってごめんね」
 
「もう絶対寝ないから・・・・・」
 
「 ごめんね・・・・・・」

「 ごめんね・・・・・・」
  
 
  
 

看護師さんが出て行き
再び二人きりになった病室で
血で汚れた父の顔を拭き
手を握りったり 
や頭を撫でながら
泣きながら謝り続けました。
   
  
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