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2008年4月29日 (火)

闘病記 31  お別れの時・・・・・

3月11日(火曜日) 入院12日目 
  
危篤状態のまま日付は変る。 
    
    
 
0時を過ぎた辺りから
呼吸の回数が減ってきた。 
     
 
【息を深く吸い込み、深く吐き出す・・・・・・】
     
深夜の静かな病室の中で
私達は響き渡る呼吸の回数を数えていました。 
 
    
 
《2時頃》
  
更に回数が減り
弱くなる呼吸・・・・・・・
   
 
2時頃の時点で
10秒に1回のペースだった呼吸は
みるみる回数が減り
2時15分位の時点では20秒に1回になり
2時20分頃には
更に間隔を置いた呼吸になった。
     
  
 
一旦、自宅に戻った叔父夫婦(父の実弟)が
再び病院に駆け付けるまで
『もう少し・・・・・・
 もう少しだけ頑張って・・・・』 
と祈る気持ちで
父が息を吐き出した後の
次の呼吸を待っていました。
  
 
そして・・・・・・
  
 
《2時30分少し前》 
  
叔父夫婦が到着し
病室に駆け込んできて・・・・・・・
   
『お父さん、みんな揃ったよ』
 
『みんな一緒だよ』
 
『お疲れ様・・・・・ありがとうね・・・・・』
 
『苦しかったね・・・・』

『頑張ったね・・・・・・』 
  
 
家族其々が
父へ言葉を掛けると
みんなが揃ったのを確認し
安心したかのように
間隔の長い呼吸は無くなり
そして
眠るように・・・・・・・・・・・・・・ 
    
  
3月11日 (火曜日)
   
享年66歳
  
家族全員が見守る中で
父は息を引き取りました。 
 
 
 
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2008年4月28日 (月)

闘病記 30 危篤状態

3月10日(月) 入院11日目
 
深夜、深く荒い呼吸になっていたが
朝になると徐々に落ち着いてきた。 
 
でも
相変わらず眠ったままで
言葉を発する事も
目を覚ます様子は無い。
  
   
   
《昼頃》
 
体を拭いてもらい
寝巻きを洗い立ての物に替えてもらう。 
  
しかし
眠ったままの父の口から
いつもの
「ありがとう」の言葉は聞けない。 
 
 
 
《夕方》
時間が経つにつれて
再び呼吸が深く荒いものになってきた。 

血圧にも変化が現れ
上が70を切っていた。 
  

この日
一旦、東京に帰る予定でいた兄夫婦は
血圧の数値を見て
急遽、帰るのを取り止めた。 
 
 
《18時頃》
 
仕事を終えて
病院に立ち寄ってくれた私の夫も
父の容態を知ると
直ぐに会社に連絡をして
翌日の休みを取ってくれ
一緒に付き添うと言ってくれた。
 
その後も
血圧は下がり続けて・・・・
 
 
《20時頃》
 
入院中、毎日欠かさずお見舞いに来てくれていた
私の叔父(父の実弟)が
仕事を終えて病院に来る頃には
血圧は50台にまで下がり

再び、深く荒い呼吸に変わってきた。 
  
 
《21時頃》
呼吸に変化は無いが
血圧は少しだけ戻り60台になった。
 

息が詰まるような空気の中
気が抜けない危篤状態が続いた。 
    
  
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2008年4月26日 (土)

闘病記29  最後の足音・・・

3月9日(日) 入院10日目
 
《22時頃》 
  
兄夫婦(父の長男)と母が
病院から実家に帰り
父の付き添いは私と夫の二人。 
  
   
夕方から一度も目を覚まさない
父の呼吸が深く荒いものに
少しずつ変わってきた。 
     
その呼吸を聞きながら
私と夫は、今までとは違う
何かを感じていた。 
  
  
 
《23時30頃》 
 
翌日、朝早くから仕事を控えているのに
父の容態とたった一人で付き添う私を心配して
「病院に泊まる」と言ってくれる夫を
無理やり説得し帰宅してもらう。 
 

   
そして 

3月10日(月)入院11目 《0時》 
  
電気を落した病室には
父と私の二人だけ。
    
 
次第に荒くなる呼吸は
まるで《最後の時》を告げる足音の様な気がして
不安が最高潮に達してしまった私は
実家で休んでいる兄に電話をして
急遽、病院に来てもらい
一緒に付き添ってもらう事に。 
  
 
電話をして30分も経たないうちに
兄は病院に到着。 
  
  
 
自分以外の存在は
とっても、とっても大きくて
不安で押し潰されそうな看護も
兄が来てくれたお陰で
気持ちを強く持つ事ができました。 
  
    
  

それから数時間後
朝になり、父の呼吸は
一旦、落ち着いてきたものの
言葉を発する事も
目を開く事も無く
最後の時まで
意識は二度と戻りありませんでした。 
  
 
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2008年4月25日 (金)

闘病記 28 昏睡状態へ

3月9日(日曜日) 入院10日目
  
歯茎からの出血も無く
吐血も下血も全く無い。 
      
でも
歯や唇に、こびり付いた血が固まり
汚れが目立つ。 
   
 
数日前、看護師さんから教えていただき
病院の売店で購入した
血液専用の汚れ落としの薬品を使って
唇や歯を拭っても
歯と歯の隙間に入り込んだ
汚れまでは綺麗にはできなかった。 
 
  
 
《午前中》
父の状態は、前日に比べると
眠る時間が増えていた。 
   
しかし
起きている時は
声のする方向を向き
何か言葉を発している。 
  
  
《昼過ぎ》
山口県からお見舞いに来てくれていた
母の親戚が
帰る前に、もう一度
父の顔を見に来てくれた。 
  
親戚達が父の手を握りながら
優しい言葉と励ましの言葉を掛けると 
意識レベルが低下しているなかで
必死にみんなの声に答えようとする
様子が伺えた。
  
 
 
《16時頃》
父が入院してからというもの
殆んど寝ていなかった私は
猛烈な眠気に襲われ
病室のソファーに横にり眠り込んでしまった。 
 
そして 
目が覚めたのは2時間後の18時頃。 
  
 
父が入院してから
一度も横になって眠っていなかったので
たった2時間の睡眠でも
頭がスッキリして体が軽くなっていた。

 
 
ベッドの横で
父の手を握り続けていた母の話では

私が寝ている間 
父もずっと眠っていたらしい。 
     
 
ただ、眠っているだけなんだと
そう思っていた・・・・・・・・
 
 
でも
そのまま、眠ったままで

それ以降、意識を戻す事無く
目を覚ます事も無く
こん睡状態へと陥っていった・・・・・・・ 

  
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2008年4月24日 (木)

闘病記 27  愛情の深さ

父の声は掠れて小さくて
殆んどの言葉を聞き取れませんでしたが
それでも入院中は
沢山沢山会話をしたような気がします。 
 
 

面白い話題や
楽しい思い出話。
  

「今度、○○へ行こう!」 
とか
「もうすぐ、桜が咲くよ
 お花見に行こうね」
等の
今後のプランについても沢山話しました。 
  
 
それから
これまで言いたいと思っていた事も
沢山沢山、言えました。 
  
  
 
手を握りながら
沢山沢山お話して
時には
父の胸に顔を埋めて甘えたりして
辛い状況ではありましたが
私的には幸せな時間でもありました。
   
  
入院生活、何日目か忘れましたが
痰の吸引をしてもらう際
看護師さんに必ず
《ありがとう》という感謝の言葉を忘れない父に
「凄いね、自慢のお父さんだよ! 
 お父さんが私のお父さんで良かった~」

 
父の手を私の頬に当てながら
語り掛けていると
私の頭を自分の胸に抱き寄せ
掠れる声で

「よかった~」と安心したように
答えてくれました。 
  
 
その会話を傍で聞いていた母が
「よかったね! 嬉しいね!」と語り掛けると
小さく掠れる声で再び

「よかった~」と嬉しい返事。
 
  
   
  
末期の肝癌で寝たきりの状態になっても
優しい笑顔と大きな愛情で
私達家族を包み込んでくれた父。
  
 
家族を守ろうとする
愛情の深さと意志の強さを感じ
守られている事を
私と母は実感していました。
 


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2008年4月23日 (水)

闘病記 26  輸血2パック

3月8日(土) 入院9日目
 
父の病気と余命を知った
母の親戚2名が(母の叔母と母の兄)
わざわざ山口県から
私達の住む愛知県まで
お見舞いに駈け付けてくれました。 
   
  
アルツハイマーになる前
父は叔母を誘い
色々な所へ旅行へ連れて行ったりしていたので
叔母は父に対して
とても感謝しているらしく
それだけに
肝癌になってしまい
残された時間があと僅かだという事が
辛くて辛くて仕方ないといった表情。
  
  
父の手を握りながら
優しい言葉を沢山沢山掛けてくれ
暫しの間、旅行での思い出話や
昔話に花を咲かせていました。
   
   
   
親戚が訪れてくれた、この日
2回目の輸血が行われました。 
     

この時の輸血は2パック分。
   
前回の輸血同様
父の体に血液が流れ込むと
白い顔に赤みが差し
見る見る顔色が良くなり
健康そのものと言った感じ。
   
余命数日というのが
何かの間違いなんじゃないかと思える程で
お見舞いに来てくれた叔父よりも
顔色も良くて健康そうなくらい。
 
 
健康そうな父の顔を見ながら

【病気が治るのでは?】
という期待のような思いと
【病気は治らない・・・・
 現実から目を逸らしてはいけない・・・・】
という気持ちの葛藤を
寝不足で疲れた頭で
グルグルと考えていました。 
 
でも
そう感じていたのは私だけではなく
その場に居合わせたみんな
同じ様に、同じ事を感じていと思います。
  
  
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2008年4月22日 (火)

闘病記 25 視力低下

3月7日金曜日 (入院8日目) 
 
続いていた吐血は
7日の夜にやっと治まり
血便もなくなった。 
  
 
しかし
吐血と下血で体内の血液は失われ
血液検査の為の採血では
注射器で血を吸い込んでも
採取できない程までになっていた。 
 
  
その場に居合わせた私の夫は

強い衝撃を受けた様で
目に涙を溜めながら
採血の様子を見守っていました。
  
 
 
モルヒネが始まってからは
痛みを訴える素振りは全くない。
でも、副作用・・・・・と言うか
薬の影響により
少し興奮状態に近い感じで
とてもよく
喋るように。
  
 
手を握り
顔を覗き込みながら
父に話しかけると
私の声のする方向に顔を向けるのだが
視点が定まっていない。 

  
『まさか・・・・・・ 』と思いながら

「私が見える?」と尋ねると
父は小刻みに首を横に振った。 
   
次に
「声は聞こえる?」と尋ねると
今度は小さく縦に首を振る。 
   
全く見えない訳ではなさそうだが
視力が落ちて
人の顔を認識する事ができなくなってきたらしい。 
    
   
父の手を
私の顔に触らせて

「ほら、白ネコ(私)だよ。
 姿は見えなくても
白ネコはお父さんの傍にいるよ」
 
  

「一人にしないから
 ずっと傍に居るから安心して」
 
 
思い付く限りの
父が安心できるような言葉を
語り掛けると
小さく頷きながら
まるで私の存在を確認するかのように
顔をペタペタ触りました。
    
近くに居た夫も、私と同じ様に

「僕も居ますよ」
「みんな、傍に居ますよ」

と一緒に声を掛けると
パッと笑顔になり
小さく
「おおっ」と声を発して
嬉しそうに笑ってくれました。 
    

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2008年4月21日 (月)

闘病記 24  モルヒネ

3月6日 入院7日目 

時間を空けずに 
休み無しに続けられていた
痛み止めの点滴が
この日の昼からモルヒネになった。 
 
 
ベッドの直ぐ脇に
専用の機械が運ばれ
注射器に入ったモルヒネがセットされる。 
 

その様子を
私と母は、ただ黙って見ていました。 
 
 
吐血が続き
顔色も血の気が引いた白い色に変わり
口には呼吸器を付け
そして
24時間続けられる
点滴とモルヒネ・・・・・・・・・・
 
 
元気でご飯もオヤツも
毎回、毎食完食していた
10日前とは全く違う父の姿が
そこにはありました。 
    
  
ベッド眠る父を見ながら 
母と二人で
この一週間を振り返えり
記録にして書き出してみましたが
記憶が少し前後していて
慌しい状況の変化に 
気持ちと頭が付いて行っていないのが
よく分かりました。 
  
  
 
現実感はあるのに
まるで客観的にテレビの中の
出来事を見ているような・・・・・
  
かと言って
夢を見ているような
靄が掛かった感じはなく
確りと現実として受け止めてるという
なんとも説明できない不思議な感覚の中で
自分の力ではなんとも出来ない
運命や現実を痛い程感じました。
 
 
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2008年4月17日 (木)

闘病記 23  謝罪

東京に住んでいる私の兄夫婦(父の長男)
父の病気を知らせると
その日の内に(2月29日)
深夜の高速を飛ばして
愛知県の実家まで駆けつけてくれました。
    
 
当初、3月2日(日曜日)には
東京に戻る予定だったのですが
無理をして仕事の都合をつけて
3月4日(火曜日)まで居てくれたので
私と母にとって
本当に心強かったです。  
   
  
一旦東京に戻り
7日(金曜日)の夜には
再び来てくれる予定だったので
それまで
【どうか、昏睡状態にならずに
 意識がある状態を保っていて欲しい】
と祈り続けていました。
 
  
 

3月6日(木) 入院7日目 
  
深夜1時頃
母が帰宅して
父と二人だけの時間。 
  
父が入院してから
殆んど睡眠を取っていなかった私は
折りたたみ椅子に座り
父の手を握りしめたまま
迂闊にも眠ってしまっていました。 
  
 
巡回に来た看護師さんの気配で
目を覚ますと
父が吐血をしていて・・・・・・・ 
      
この時もかなりの出血量。
枕、シーツも血だらけで
床にも滴り落ち
近くのカーテンにまで飛び散っていました。
    
  
 
眠ってしまい、吐血に気付かなかった事が
申し訳なくて、悲しくて、悔しくて・・・・・・ 
   
 
血で汚してしまった事を看護師さんに
誤り
気付けなかった事を父に謝りながら
滴り落ちた血を拭きました。 
   
「ごめんね、お父さん」 
 
「苦しかったよね」 
 
「気付くの遅くってごめんね」
 
「もう絶対寝ないから・・・・・」
 
「 ごめんね・・・・・・」

「 ごめんね・・・・・・」
  
 
  
 

看護師さんが出て行き
再び二人きりになった病室で
血で汚れた父の顔を拭き
手を握りったり 
や頭を撫でながら
泣きながら謝り続けました。
   
  
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2008年4月16日 (水)

闘病記 22  止まらない吐血

3月5日 《9時過ぎ》
  
呼吸器を付けた父の姿に驚き
声を失っている母に
吐血と下血があった事と
父の容態を説明して
私は自宅に戻りました。 
   
  
家に戻ると休む間も無く
洗濯と食事作り。
    
夫の食事を冷蔵庫に入れて
仕事に持っていくお弁当と水筒を
忘れないように玄関に置き 
母の昼食と夕食をお弁当箱に詰めて
洗いあがった洗濯物と
母のお弁当をカバンに入れ再び病院へ。 
  
  
そして 
病院に到着したのは13時頃。
  
丁度、床擦れ防止のエアーマット付きのベッドに
看護師さん数人係で
交換している真っ最中でした。

 
枕やクッションで定期的に体位を変えても
直ぐに右を下にして寝てしまい
腰から腿に掛けての皮膚が
内出血で真っ黒になってしまっていたので
担当看護師さんが手配してくれたものでした。 
  
 
新しいエアーマット付きのベッドに移り
暫くすると又、吐血。 
     
 
私が居ない9時~13時の間に
2回の吐血があったらしく
看護師さんのお話では
体を動かすと内臓からの出血を
起こしてしまうとの事でした。 
     
 

この日は数時間おきに
吐血を繰り返していた
ので
6回目までは数えていましたが
それ以上は覚えていません。

  
  
繰り返される吐血。
そして
時間を置かず
休み無しに続けられる痛み止めの点滴。 
     
   
嘔吐の度に父の目から流れる涙と
血で汚れた口の周を拭きながら
私と母は楽しい話題や
明るい声を掛け続けていました。 
  
かなりの出血量で
きっと体はしんどい筈なのに
それでも父は
笑顔で「ありがとう」を言い続けます。
    
  
何か言葉を発して
時折声を出して笑いながら
私達の声掛けに
懸命に答えてくれていました。
  
 
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2008年4月15日 (火)

闘病記 21  吐血と血便

数日間続いていた
歯茎からの出血が止まると
今度は内臓からの出血がはじまり
吐血を繰り返すようになった。 
  
 
3月5日 《入院6日目》 
 
前日の夜から5日までの8時間位の間に 
吐血が3回と大量の血便が1回。 
   
 
明け方4時頃
父を心配して毎日、夜勤明けに
病院へ立ち寄ってくれていた私の夫も
辛そうな表情で
吐血を繰り返す父の手を握っていた。  
  
 
少し苦しそうな呼吸に変わってきたので
巡回に来てくれた看護師さんに相談すると
鼻からの呼吸器を取り付けてくれた。 
 
 
しかし
体内の酸素数値は上がらなかった為
直ぐに口からの呼吸器に変更。 
   
  
 

痛み止めの点滴と呼吸器のお陰で
徐々に呼吸は落ち着き 
グッスリ眠る父の様子を確認し
朝6時頃、夫は帰宅。 
    
  
再び二人きりになった病室で
私は眠る父の手を握りながら
声を掛け続けていました。 
  
《傍に居るよ》 《大丈夫だよ》
  
《安心して》 《何所にも行かないから》
 
私達(家族)はお父さんを
    絶対に一人にしないから》
 
 
 
 
アルツハイマーになって
介助無しでは生活できなくなってから
一人になるのが不安になってしまった
父の為にできるのは
声を掛ける事だけでした。 
   
 
 
朝9時過ぎ
病室に来た母は
昨夜、帰宅する時には付けていなかった
呼吸器を付けた父の姿を見て

「えっ?!」と一言小さな声を上げて驚き
次の言葉が出ずに
その場に立ち尽くしていました。 
  
  
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2008年4月14日 (月)

闘病記20  吐血

3月4日 《21時頃》
 
母が帰宅して
病室には父と私の二人きり。 
   
母が帰って暫くすると
父の様子が少しずつ変わってきました。
    
   
咳き込みながら
喉の辺りからゴロゴロと微かに
痰が絡まった様な音が聞こえる。 
    
そして時折
嘔吐しそうな仕草。 
  
 
 
念の為
吐いて布団や枕が汚れないように
何時、嘔吐があっても対応できるように
準備をしておく事に。 
 
 
《23時頃》
  
咳き込みだした父が
顔を横にしたので
使い捨てのゴム手袋をはめて
ビニール袋を広げている途中で嘔吐。 
  
 
ビニール袋は間に合わず
ゴム手袋をはめた手で咄嗟に受けると
ズッシリとした重さと

生温かさがゴム手袋越しに伝わってきました。 
  
 
父の顔を見ると
口の端から血が流れていて

受け止めた私の掌の中は
血で溢れ返っていました。 
  
 
液体状の中に
ゴルフボール程のゼリー状に固まった血が2つ。
  
 
大量の吐血に
動揺しながらナースコール。 
 
でも
夜の看護師さんが少ない時間帯。  
2度3度とナースコールを押しても
なかなか看護師さんは駆けつけてくれない。 
   
 
 
情けない話ですが・・・
看護師さんが来るまでの間
父に声を掛ける事しかできない私は
何もできない無力さが
情けなくて、悔しくて、悲しくて
そして
一人の心細さと不安で
頭の中はぐちゃぐちゃのパニック状態でした。 
 
 
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2008年4月11日 (金)

闘病記 19 専門病棟へ移動

3月4日 入院5日目
  
今まで居た3階の病室から
専門病棟のある6階へ
部屋を移動した。 
  
 
新しく移った部屋は
それまで居た部屋と同タイプ。 
  
違うのは階数だけで
窓から見える景色も
間取りも家具の配置まで
何もかもが全て一緒なので
部屋を移動した感覚がまるでなかった。 
  
  

父の状態は
意識はハッキリしている。 
声が小さくて
言葉の殆んどが聞き取れないが
意味不明な言動が増えてきた。 
 
 
前日に受けた輸血が良かったのか
歯茎からの出血は減少傾向。 
 
  
そしてこの日
父が初めて

お腹の辺りの痛みを訴え
座薬タイプの痛み止めを使用した。 
   
 
痛み止めは直ぐに効いたらしく
その後はとても穏やかで
お見舞いに来てくれた
お客さん達にも
笑顔で応対していた。 
  
  
 
お見舞いに来て下さった方々から
温かくて優しい励ましの言葉を
いっぱいいっぱい掛けられて
時には
思い出話に花を咲かせて
父はとても楽しそうに
そして
幸せそうに過ごしていました。 
   
 

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2008年4月10日 (木)

闘病記 18 輸血

3月3日 (入院4日目)
  
歯茎からの出血が続き
喉に流れ込んだ血液を
定期的に吸引してもらう。 
  
 
吸引機の容器に溜まった
物から推測すると
唾液と吸引機を洗浄する
水が混ざっているとは言え
出血量は多そうに思えた。
  
 
 
数日間続く出血のせいで
顔色も血の気が引いた青白い色。 
 
 
先生の判断で
この日
初めて輸血が行われた。
 

父の体に血液が入ると
見る間に血色が良くなり
頬も薄っすらピンク色に染まり始める。 
 

少し元気も出てきて
問い掛けに対する反応も良くなり
肌に艶も出てきて
顔を見る限りでは
健康そのものに見えてしまう程の回復振り。 
 
  
  
ピンクに染まった父の顔を見ながら
献血の重要性と有り難さを
ヒシヒシと感じました。
   
  

誰かの善意(献血)による血液で
この時、父が少しだけ元気を取り戻せた事を
心から感謝します。 
  
  
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2008年4月 9日 (水)

闘病記 17 ありがとうの言葉

3月2日 入院3日目 
 
熱が徐々に下がり
37度台になった。 
   
意識もハッキリしていて
私達家族の声掛けに対して
普通に反応もあるし笑顔も見せてくれる。
    
でも
 
声が小さくて

言葉の殆んどを聞き取れない・・・・・ 
   
   
 
血小板が無いので 
相変わらず続く
歯茎からの出血が止まらない。 
    
 
喉に流れ込んだ血が飲み込めず
痰が絡まるが
上手く吐き出せないので
吸引をする事になった。  
   
しかし
吸引機のカテーテルを咬んでしまい
上手く喉の奥まで届かない為
鼻からカテーテルを喉まで通して吸引。 
  
  
嫌がり動いてしまう
父の腕と肩を抑え付けながら

「ごめんね、ごめんね」
「少しだけ我慢して、楽になるから」

と声を掛けながら
看護師さんに吸引してもらう。 
   
 
苦しくて、咳き込み
涙目になり嫌がっていても
吸引が終わると必ず
「ありがとう」の言葉を忘れない父。 
  
 
この状況においても
擦れる小声で
【ありがとう】の感謝の言葉を忘れない
そんな父を心から尊敬しています。 
 


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2008年4月 8日 (火)

闘病記 16  お見舞い

3月1日 入院二日目 19時頃
  
父がお世話になっていたデイサービスの
責任者さん(男性)とスタッフさん(女性)が
お見舞いに来てくれました。 
 
大好きな責任者さんから
元気な大きい声で
「○○さんっ!!」
と名前を呼ばれて声を掛けられると
凄く嬉しそうに満面の笑み。 
  
  
仲良しの女性スタッフさんから
「また一緒にダンスするよ!!」
ダンスのお誘いには
態と嫌そうな顔をして
照れ隠しの照れ笑い。 
   
 
責任者さんとスタッフさんの
明るい笑い声と
まるで漫才のような
テンポの良い掛け合いが面白くて
父はニコニコの笑顔でした。 
  
  
  
デイサービスで
父がとても楽しく過ごしていたのが良く分かり
あらためてスタッフさんに
感謝の気持ちでいっぱいになりました。 
 
  
 
お二人が帰られる際
母も一緒に病室を出て行き
来てくださった御礼と
詳しい病状を説明すると
病室では明るい笑顔で笑っていた
デイサービスのスタッフさんは
泣き出してしまったそうです。 
  
そして
他の利用者さんより
年齢が若い父の事を
いつも気に掛けてくれていたお二人は
父の病気を心から悲しんで下さいました。
 
  
アルツハイマーになってから
人との繋がりが
極端に減ってしまった父が
デイサービスにより
再び【人との交流の場】を取り戻す事ができ
本当に良かったと感じました。
  

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2008年4月 7日 (月)

闘病記 15 入院2日目

アルツハイマーが進み
自分の意思を思うように伝えられず
ナースコールも押せない・・・・・
それに 
点滴や尿管カテーテルを
触ったり引っ張ったりして
抜いてしまう恐れがある為
入院中は24時間体勢で常に誰かが
父の傍に付き添っていました。
  
  
 
3月1日 《入院2日目》
   
東京から車を飛ばして
私の兄夫婦が(父の長男)
深夜に病院へ駆けつけてくれました。 
 
 
父の状態は
前日から出はじめた
38度前後の発熱が続き
歯茎からの出血も相変わらず・・・・・ 
   
 
意識は確りしていて
色々と言葉を発するのですが
意味不明な言葉が多く
声は小声で聞き取り難く
父が何を訴えようとしているのか
殆ど把握できませんでした。 
   
  
この日の回診では
前日聞いた【余命数日】から
【余命数週間】に僅かながら
先生の見解に変化がありましたが
治る見込みのない病で
父に残された時間が
あと僅かであることには変わりない・・・・
と言う思いから
私は素直に喜ぶ事ができませんでした。 
 
 
ただ1つ
唯一、望んだのは
 
《苦しまないように・・・・・・》 
 
ただコレだけを
願っていました。
 
 

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2008年4月 5日 (土)

闘病記14  入院1日目

私が病院に戻ると
母は親戚に詳しい事情を説明する為
電話を掛けに病室から出て行きました。 
  
  
父は熱があるせいで
深く寝付けないらしく
時折、目を覚ましては
ベッドに横たわったままの体勢で
キョロキョロと見慣れない病院の天井を見渡し
少し落ち着かない様子でした。
   
    

父が不安にならないよう
私はベッドの横に座り手を握っていました。 
  
そして
父が目を覚ます度に
『大丈夫』
『傍に居るよ』
『何所にも行かないよ』
 等と
父が安心できるような言葉を
掛け続けていました。 
  
 

すると
父が突然、吊り下げられている
点滴をジーッと見つめながら 
 

 「これで・・・・終わりか?
   
 
ここで・・・・・終わりなのか?」 
   

  
 
父の問いに
私は直ぐに答える事ができず・・・・・・ 
数秒間を空けて
 
「あっ、点滴の事? 
  まだ大丈夫だよ。
  終わりそうになったら知らせるよ~」

と少しふざけた明るい口調で
誤魔化すのが精一杯でした。 
 
  
父は

「ふ~ん、そっか~」と言い
取り敢えずは納得したような
雰囲気でしたが・・・・・・
 
正直驚きました。 
  
 
アルツハイマーが進行して
認識力が低下していましたが
自分の《命》があとどれくらいなのか
何となく気付いてしまったのかもしれません。 
   
 
一年程前から

 「俺・・・・
 あんまり長くないような気がする」

と言っていましたし・・・・・・・

今となっては
本当の所は分かりませんが
もしかしたら
父は《死》を覚悟していたのかもしれません。 
  
   
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2008年4月 3日 (木)

闘病記 13  介護から看護へ

先生から癌告知を受けた後
私と母は
これからの入院生活で
父に残された僅かな時間を
少しでも家族水入らずで過ごせる様に
個室を希望しました。 
  
   
  
時間外・救急診療のある病棟から
用意された個室に移り
ベッドで眠っている父の顔を眺めていると 
つい先程
先生から聞いた《病名》と《余命》は
『何かの間違いなんじゃないか』と思えて 
信じられない気持ちでいっぱいでした。
 
 
でも、悲しみに浸ってばかりは居られず
やらなければいない事は沢山。 
    
先ずは 
家族と親戚に連絡。
それから
翌日も通う予定だったデイサービスに連絡。 
    
 
夫に連絡をしてから一時間後
仕事を切り上げ
駆けつけてくれた夫と私は
入院する為の荷物を取りに
母を病院に残して一旦帰宅。
 
 
マンションの前に辿りつくと
張り詰めていた糸が緩み
一気に力が抜けてしまい
エントランスでしゃがみ込んだまま
動けなくなってしまった。 
  
夫に支えられながら
部屋に入ると
今度は涙が止まらない。 
  
私は声を上げて泣きながら
入院に必要な荷物を整えると
直ぐに病院に戻りました。 
  
 
 
大きな荷物と
母と私の夕食を抱えて病室に入ると 
母はベッドの横に座り
眠っている父の手を握っていました。 
  
そして
「これからは・・・・・・
 介護から看護になるね・・・・・」
 
 
ポツリと一言
私に語り掛けました。 
  
  
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2008年4月 1日 (火)

闘病記 12  癌告知(5)

父の病名と余命を告げられ
先生から説明を聞いている間 
堪え切れなくなった母が
小さな声で泣き出してしまった。 
  
  
 
そして

「主人は、あと何週間くらいなんでしょうか?」
と告げられた父の余命について
もう一度、質問をしていた。 
   
 
先生から

「数週間・・・・・ではありません
 数日です・・・・・」
 
という絶望的な答えを再び聞き
更に強く泣きだす母。
 
   
 
その横で私は
《私が!私が確りしなくては!!》と念じて
溢れそうになる涙をこらえながら
強く気持ちを持とうと必死でした。
 
  
  
 
 
それから先生は
「これは大切な事です」
「決めてください」と言い
【今後の医療行為について】話し始めていた。 
  
  
心肺停止の場合
【心臓マッサージ】
【電気ショック】等による蘇生処置
それから
【モルヒネ】等の
痛み止めの使用について
回らない頭で決めなければならなかった。 
   
  
泣き続けている母の横で
私は  
《兎に角、父が苦しまない様に・・・
痛がらない様に・・・・・》 
【蘇生処置】を断り
【モルヒネの使用】を先生にお願いしました。 
 
 

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