2008年5月15日 (木)

要介護3

痴呆症(要介護3)の祖母は88歳。 
 
家族の名前や顔は覚えていなくても
体は健康そのもの。 


88歳とは思えない身の軽さで
歩くスピードも早く
小走りだってできちゃう
スーパーおばあちゃん。 
  

痴呆の症状なのか・・・・・
疲れを感じないらしく
寝ている間以外は
一日中忙しそうに動き回っている。 
  
 
お世話になっているショートステイでも
施設内を歩いて
動き続けているらしく
新品の上履きが直ぐに駄目になってしまう程。
 
 
 
アルツハイマーと違い
家族を認識できない状態でも
空間把握能力は全く衰えていないので
トイレの場所や用の足し方は
はっきり覚えているし
ドアや玄関の鍵だって普通に開けてしまう。
 
  
ジッとして居るのが苦手なので
少し目を離すと
鍵を開けてお出掛け(徘徊)してしまいます。  
 

 
若年性アルツハイマーだった
父の症状とは
似ているようで全く違う祖母の介護・・・・・・・
  
 
父の介護で手一杯でしたが
これからは
祖母と接する時間が増えそうです。
 
 
でも・・・・・・・・
父とは違った意味で大変なんです・・・・・・・・・ 
   
  
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2008年5月13日 (火)

認知症に救われた祖母

記憶力や認識力の低下により
救われたのは
父だけではなく祖母(父の実母)も同じ。 
 
  
祖母(父の実母)は要介護3の認
知症。 
 

家族の顔は何となく覚えていても
どういう続柄なのか分らず
名前は思い出せない状態。 
 
 

入院中の父の元へ
私の兄夫婦が
祖母を連れて来てくれましたが

父を自分の息子だと認識できませんでした。 
 
  
 
【亡くなる】【葬式】
という状況も認識できない為
葬儀中は
終始ニッコニコの笑顔でご機嫌。
  
 
棺の中で横たわる父を見ても
「どうしたの?」
「何で寝てるの?」と笑顔で質問していました。
   
  
   
子供を産んでいない
私が言うのも何ですが・・・・・・
  
子供に先立たれるのは親として相当辛い筈。 
   
 
その状況を理解できず
大きな衝撃と悲しみを感じずに済んだ祖母は
認知症に救われてたのだと感じています。
  

  
 

随分前に認知症を
『神様からの贈り物』と表現した(うろ覚えです)
本か記事を目にした記憶がありますが
その意味が分る気がします。  
   
 
物は考えようで
全ての事柄は
マイナスにもプラスにも
捉えることができますし・・・・・・・ 

 
認知症も捉え方によっては  
悪い事ばかりでありません。 
 

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2008年5月10日 (土)

アルツハイマーにありがとう

入院する少し前から
アルツハイマーの症状が
かなり進行していましたので
日常会話も咬み合わない状態でした。
  
  
場所の認識力も低下していて
自分が何所に居るのか
理解できなかった為
母か私のどちらかが傍に居れば
それだけで安心してくれたので
入院中は一度も
帰宅願望の症状は
ありませんでした。
  

病気になって入院しているという事を 

所々で、理解できている様に
見受けられる時もありましたけど
それもほんの一瞬だけで・・・・・・
 
状況を理解できていない時間の方が
はるかに長い・・・・・
というより
殆どだったと思います。 
  
 
 
理解できて不安になったとしても
笑い話や明るい話題を出せば
次の瞬間にパッと笑顔に変わり
数秒前の不安は消えてしまうので
父は入院中
穏やかな感情で過ごしてくれました。
 
 

 
 
の恐怖や不安を感じずに済んだのは
皮肉なですが
アルツハイマーのお陰です。
 
 
若年性アルツハイマーの症状により
生活全般
に介助が必要で
様々な困難や悩みもありましたが
その症状によって
最後は救われました。 
  
 
もし
若年性アルツハイマーになっていなかったら
もし
介護が必要じゃなかったら
これ程まで
家族
で濃密な時間を過ごす事はなかった。 
 
 
私達家族に
家族の愛情や大切さを教えてくれて
最後に父を救ってくれた
アルツハイマーという病気に
今は『ありがとう』の気持ちです。 
  
 
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2008年5月 8日 (木)

父らしい葬儀

本人(父)の希望もあって
葬式は身内だけで執り行う
【家族葬】にしました。
  
格式張った感じではなく
全体的にゆる~い
自由な雰囲気の葬儀です。 
     
  
    
私自身、黒色の服は着ましたが
喪服ではありませんでしたし
母も着物ではなく洋服で参列。
 
要介護3の祖母(父の実母)にいたっては
喪服を用意する暇がなくて
普段着で出席しちゃいました。
   
 
祭壇には
父の大好物だった
生クリームがタップリのケーキを供え
通夜と葬儀には
黒い服を持っていない愛犬どるちぇ君が
明るいカラフルな服で
ちゃっかり家族の位置に着くという
ちょっと型破りなカジュアルな雰囲気。 
        
   
そして
出棺の際には花と一緒に
まだ食べていなかった
新発売のお菓子とケーキを
沢山、棺に入れて
どるちぇ君は父の額にお別れのキス。
  
   
 
参列者は家族と親戚だけなので
初七日以外の【おひじ】(料理)は
お惣菜やの弁当と
コンビニのお握りと菓子パンにし 
お通夜に来られた方に
お菓子を配るという
地域の風習も無しにしました。
 
 
   
十数年前に祖父の葬式を出した時は

通夜・葬儀の当日は
忙しくて慌しくて・・・・・・
葬儀が終わってからも
やる事が沢山あって
兎に角、大変だったという記憶しか残っていません。

でも、今回の葬儀は 
《父らしさ》に溢れて温かい式になりました。
  
   
 
時と場合によっては
格式や風習を守るのも大事かもしれない。
でも 
故人の気持ちを尊重したり
残された者達が納得する方法で
葬儀を行うのも
それはそれで良いんじゃないかな?
と思っています。
  
 
オリジナリティ溢れる父の葬儀。
 
葬儀が終わった直後も今も
私たち家族はみんな  
『とても良い式だった』という感想を抱いています。
 
 
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2008年5月 6日 (火)

笑顔の別れ

残された者の
凄く勝手で都合の良い思い込みだと
自分でも分っていますが・・・・・・
 
父は自分の人生に
悔いを残さず
満足していたと思います。 


進行し続けるアルツハイマーの症状に
父自身、深く悩んでいましたし
誰かの介助無しでは
着替えもトイレも行けない生活に
傷つき悲しい思いをしていた事実はありますが
それでも
満足して旅立ったと思うのです。  
 
 
というのも
最後の顔が笑っていたから・・・・・ 
  
 

亡くなった直後
看護師さんに施してもらった最後の処置で
顎を固定するための
白いゴムバンドが掛けられて時は
普通に穏やかな表情だったのに・・・・・・
 
自宅から葬儀場に移り
ゴムバンドが外された父の顔を見た瞬間
夫は息を呑み
私は思わず
「どうしてっ?!」
と大声を上げてしまいました。 
 
 
葬儀場の控え室で
横たわる父の表情は
満足そうで幸せそうな
父らしい優しい笑顔になっていました。 
   
  
『穏やかな顔』等と
よく表現しますが 
父の場合は笑顔そのもの。 
 
今、思い返してみても本当に不思議です。  
    

 
でも
最後の最後を笑顔で締めくくるなんて・・・・ 
  
もしかしたら
残された家族の悲しみを
少しでも和らげようとする
父の粋な計らいだったのかもしれません。 
 
 
家族へ向けた
最後のプレゼントは
幸せそうな最高の笑顔でした。
  
  
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2008年5月 5日 (月)

愛犬との深い繋がり

通夜と葬儀は
葬儀場で執り行うように
お願いしましたが
『自宅から送り出したい』という兄の希望で
病院から自宅へ父を搬送しました。


私の家でお留守番をしていた
愛犬どるちぇ君を連れて実家に戻ると

父は仏間に安置されて 
葬儀屋さんが用意した
白い布団に横たわる父の顔には
白い布が掛けられていました。 

 
 
母と二人で
父を真ん中に《川の字》になって
3人で横たわり
『お帰り、やっと帰れたね』と声を掛け
まだ温かさが残る父の体に触れた途端
張り詰めていた糸が切れたように
涙が溢れてきました。 
 
 
私が声を上げて大泣きしたのは
この一度だけ。 
 
父の胸に顔を埋めながら
母と私は
声を上げて思いっきり泣きました。
  


そして
目の中に入れても痛くない程
可愛がっていた愛犬どるちぇ君を
傍に連れて来ると
ピッタリと父に寄り添うように寝てしまい・・・・・ 
  
 
その姿は痛々しい程
健気で、愛情に満ちていて・・・・・
   
父と愛犬どるちぇ君の
繋がりの深さを感じさせられました。 

   
  
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2008年5月 3日 (土)

不思議な安堵感・・・・・

父が亡くなり
四十九日の法要を終えて
納骨を済ませた今でも
悲しくて、寂しい・・・・・・・ 
   
  

でも
不思議な事に
声を上げて泣いたのは一度だけで
父が息を引き取った時も
お葬式でも
私は殆ど泣かなかった。  
     
    
   
悲しくなかった訳ではないが 
『お疲れ様』
『ありがとう』という気持ちと
『父はやっと
 アルツハイマーと肝癌から開放されたんだ』
という気持ちの方が強かったと思う。 
  
  
文字にしてしまうと
非常に不適切な表現になってしまい
不快に感じる方も
いらっしゃるかも知れませんが・・・・・・・

   
『病気から開放されて良かった』
『もう、苦しくないんだ』という
《安堵感》・《安心感》・《開放感》のような
少し不思議な気持ちでした。 
   
  
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2008年5月 1日 (木)

葬儀社選び

父が息を引き取ったのは
多分2時30頃。
 
 
看護師さんに知らせて
2時49分に先生が死亡確認しました。
   
 
 
  
 
冷たいと感じられるかもしれませんが・・・・・
 
担当医から
癌告知と同時に
【あと数日・・・】という余命を告げられてから
私と夫は葬儀場を探し始めていました。
 
 
と言うのも・・・・・・
 
葬式場を決めておいた方が
直ぐに動きが取れますし
それに・・・・・・
殆どの葬儀社が
前以て会員になっていると
お値段がお安くなるんです・・・・・・ 
   
 
その様な理由から
夫と二人で
電話帳に載っている葬儀社に
片っ端から電話を掛け探しました。 
  
  
私達家族の希望する絶対条件は2つで
父の希望でもあった【家族葬】ができる場所。 
それから 
父の愛犬どるちぇ君も一緒に参列できる場所。 
    
 
 
色々な葬儀社に電話をして感じたのですが
なかなか強気な態度の会社が多い。 
   
  
身内だけで執り行う【家族葬】にしたいので
一番地味なプランを聞いているのに
高いプランしか教えてくれなかったり
渋々教えてくれたとしても
態度が物凄く悪かったり 
『愛犬も参列させたい』という私達の希望を
バカにしたように受け流したりで
サービス業とは思えない態度。 
 
 
でも、勿論
そんな酷い葬儀社ばかりではありません。 
 
父の葬儀をお願いした会社は
親身になって丁寧に説明してくれ 
愛犬の参列についても
快く承諾してくれました。


葬儀という
非日常的な場面で
分らない事だらけの状況の中で
冷たい態度の葬儀社に
悲しい思いもしましたが
父の葬儀をお願いした会社の担当者さんからの
「ワンちゃんも大丈夫ですよ
 ペットは家族ですから 
 一緒にお別れして下さい」 
という言葉に救われた思いでした。 
  
 
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2008年4月29日 (火)

闘病記 31  お別れの時・・・・・

3月11日(火曜日) 入院12日目 
  
危篤状態のまま日付は変る。 
    
    
 
0時を過ぎた辺りから
呼吸の回数が減ってきた。 
     
 
【息を深く吸い込み、深く吐き出す・・・・・・】
     
深夜の静かな病室の中で
私達は響き渡る呼吸の回数を数えていました。 
 
    
 
《2時頃》
  
更に回数が減り
弱くなる呼吸・・・・・・・
   
 
2時頃の時点で
10秒に1回のペースだった呼吸は
みるみる回数が減り
2時15分位の時点では20秒に1回になり
2時20分頃には
更に間隔を置いた呼吸になった。
     
  
 
一旦、自宅に戻った叔父夫婦(父の実弟)が
再び病院に駆け付けるまで
『もう少し・・・・・・
 もう少しだけ頑張って・・・・』 
と祈る気持ちで
父が息を吐き出した後の
次の呼吸を待っていました。
  
 
そして・・・・・・
  
 
《2時30分少し前》 
  
叔父夫婦が到着し
病室に駆け込んできて・・・・・・・
   
『お父さん、みんな揃ったよ』
 
『みんな一緒だよ』
 
『お疲れ様・・・・・ありがとうね・・・・・』
 
『苦しかったね・・・・』

『頑張ったね・・・・・・』 
  
 
家族其々が
父へ言葉を掛けると
みんなが揃ったのを確認し
安心したかのように
間隔の長い呼吸は無くなり
そして
眠るように・・・・・・・・・・・・・・ 
    
  
3月11日 (火曜日)
   
享年66歳
  
家族全員が見守る中で
父は息を引き取りました。 
 
 
 
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2008年4月28日 (月)

闘病記 30 危篤状態

3月10日(月) 入院11日目
 
深夜、深く荒い呼吸になっていたが
朝になると徐々に落ち着いてきた。 
 
でも
相変わらず眠ったままで
言葉を発する事も
目を覚ます様子は無い。
  
   
   
《昼頃》
 
体を拭いてもらい
寝巻きを洗い立ての物に替えてもらう。 
  
しかし
眠ったままの父の口から
いつもの
「ありがとう」の言葉は聞けない。 
 
 
 
《夕方》
時間が経つにつれて
再び呼吸が深く荒いものになってきた。 

血圧にも変化が現れ
上が70を切っていた。 
  

この日
一旦、東京に帰る予定でいた兄夫婦は
血圧の数値を見て
急遽、帰るのを取り止めた。 
 
 
《18時頃》
 
仕事を終えて
病院に立ち寄ってくれた私の夫も
父の容態を知ると
直ぐに会社に連絡をして
翌日の休みを取ってくれ
一緒に付き添うと言ってくれた。
 
その後も
血圧は下がり続けて・・・・
 
 
《20時頃》
 
入院中、毎日欠かさずお見舞いに来てくれていた
私の叔父(父の実弟)が
仕事を終えて病院に来る頃には
血圧は50台にまで下がり

再び、深く荒い呼吸に変わってきた。 
  
 
《21時頃》
呼吸に変化は無いが
血圧は少しだけ戻り60台になった。
 

息が詰まるような空気の中
気が抜けない危篤状態が続いた。 
    
  
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